
先日、しくじり先生というテレビ番組を見ていたら、伊能忠敬に関する話をしてた。
この番組を見て、伊能忠敬って実はすごい人なんだ!っていうことを知った。
ということで伊能忠敬の生涯を見ていこう!
そして、この伊能忠敬の生き方から、現在の生き方を見直そう!
伊能忠敬=地図をつくっただけ?
皆さんは伊能忠敬と聞いて、どんな人だと思い浮かべますか?
ただ地図を作った地図好きな人だったんだろうなぁくらいに思ってるかもしれません。

みんなこれくらいの感じでちょっとなめてるでしょ?
だけど、実はめちゃめちゃすごい人なんだな。
そもそも地図くらいでって思ってるけど、 現在の企業で地図を制して世界を制した企業があるよね?
そう、Google!
Googleはブランド価値世界1位!就職したい企業世界1位!時価総額世界2位!という誰もが認める世界No.1企業。
つまり、はるか昔に日本地図を作成した人物である伊能忠敬はこう呼んでも過言ではない。

それくらいすごいことなんだけれども、日本地図を作るといっても車もないし、日本がどれくらい広いのかもわからない。
そしてどうやって測ったらいいのかもわからない。
そんな、とても労力がいることなんだけれども、伊能忠敬が日本地図を作り始めたのはなんと55歳!!
このころの江戸時代の平均寿命は50歳ほど。
つまり、現代の平均寿命を5つ超えた88歳。
芸能人でいうと黒柳哲子さん(83)や美輪明宏さん(82)くらい。
いやいや、この年齢で日本中歩き回るとか無理だし、そもそも88歳から新しく何かを始めること自体思いつかない。
だけどここで1つ疑問に思うことがある。
ってか地図の人ってイメージだけど、55歳から始めたんだったら今まで何やってたの?
実はそれまで全く別のことをやっていた。
なぜなら、伊能は頼まれたことを断れない性格だったから。
そのため、周りのしがらみややりたくもない仕事に追われ、夢を叶えることを後回しにしていた。
これは現代のみなさんにも当てはまるのではないだろうか?
夢を追いかけてやりたいことをやってるのかと問われると、自信を持って”うん!”と言える人はどれだけいるだろうか。
そんな人たちに伊能忠敬の人生を知り、夢を追いかけてほしい。
地図作りを始めるまでの人生
そもそも伊能はどんな子供だったのか。
子供のころの伊能には夢があった。
それは・・・

そのような夢を持っている伊能は漁師の家に生まれ、とても頭がよかった。
そして実は苗字が伊能ではなく、名前は忠敬ではなく三次郎だった。
ではなぜ伊能になったのか?
それは伊能家という名の商売をしていた富豪がいて、その富豪の息子が死んでしまったため、頭のいい三次郎(伊能忠敬)をスカウトしたから。
つまり、養子に入って名前を変えたのだ。
これはなんという幸運!と思ったのもつかの間。
跡取り息子として入った伊能は商売を継いでほしいと言われ、夢を後回しにして商売を始める。
断れない性格もあり、やりたいわけでもない商売をなんとなくやることになってしまっていた。
やりたくもないし、なんとなくで始めた商売だが、もともと頭のいい伊能は才能をいかんなく発揮した。
伊能はこの商売で稼いだ金額はなんと、

どうやって稼いだのかというと、もともとお米やお酒を地元で売る商店だった。
しかし、もっと遠くの方にも需要があるということを知り、川を使って運ぶことを思いついた。
すると、とっても喜ばれ売れまくった。
この出来事から伊能は思った。”へー、需要がないところに届ければより売れる”と。
これに気づいた伊能は、お金や土地が足りない人に貸すといった金融業を始めたのだ。
この金融業がブレイクし、35億というお金を集めた。
そしてこの業績が認められなんと村長にまでなってしまったのだ。
漁師の家の生まれた子供が、村の長になるなんて誰が考えただろうか。
順風満帆で暮らせるようになったのだが、村長となったこの時期に歴史的な大問題が起きる。
天明の大飢饉
伊能が村長となったとき、なんと浅間山が大噴火した。
その結果、90万人という人が亡くなったといわれている。
これは日本の歴史上最大の飢饉なんだって。
そんな大きな飢饉があったにもかかわらず、伊能の村の死者はなんとゼロ!
なぜならば、伊能が予測して米を買い占めていたから。
村人達からしたらもう伊能さんマジでリスペクト!マジ神!ってな感じなわけ。
その結果、評判が広まりなんと伊能は武士階級にまで上り詰める。
と、このように気が付くと出世していたんですね。
ただ、ふと我に返った時、伊能は思った。
俺の夢はこんなことだったのか?と。
伊能は鏡を見て、気がつけば武士となり刀を差した50歳の自分がいて、
”俺が本当にやりたいことはこれじゃない”と答えをだした。
伊能は夢を諦めてしまう人の典型的な例だったのだ。
それは、与えられた仕事で結果を出してしまうこと。
夢でもないことで結果を出すと、
仕事を与えられる→仕事をこなす→結果を出す→もっと仕事を与えらる
というサイクルにはまってしまうから。
それに伊能が気づいたのが50歳のとき。
そして伊能は決断し、地位や財産を捨て江戸に向かい天文学の勉強をすることを決意した。
②に続く